皆さん、ボランティアやっていると
・好意の押し売りではないか
・自己満足のためにやっているのではないか
と悩むことありませんか。
周りにも、必ずしもボランティアに肯定的ではない人がいたりすると思うんです。
偽善者じゃないかとか、変な目で見られることを経験したことがある人もいるかもしれません。
私も同じ悩みを抱えたことがありますが、悩みを解決してくれた言葉があります。
皆さんに是非知ってもらいたい言葉を紹介したいと思います。
東日本大震災でのボランティア
私が東日本大震災のボランティアに行ったときの話です。
2011年の7月のことです。
当時は全国からボランティアが殺到し、
特に震災直後には、専門性やボランティア経験のない人が現地に行ったところで邪魔になるだけだ、といった批判がネットなどでも出ていた頃だったと記憶しています。
そんなタイミングでしたから、災害ボランティアとして参加することに自分自身でも迷いがありました。
「偽善ではないか」、「好意の押し売りではないか」と考えていたと思います。
悩みながらも、被災地の映像を見て「何かしなければ」という気持ちで申し込みをしたと記憶しています。
被災地での仕事
我々の仕事は、津波で運ばれた大量のヘドロの除去作業でした。
真夏の猛烈な日差しの中、ヘドロで汚れたり、瓦礫で怪我をしないよう、長袖で作業するという厳しい環境でした。
履いていた長靴の中に汗がたまるという初めての経験をしました。暑さが少しお分かりいただけるとおもいます。
ボランティアツアーでの参加だっため、ツアー参加者は、同じ宿泊施設に泊まりました。
宿泊施設での出来事
ある晩、食事時に参加者の自己紹介をするということがありました。
皆さん、名前とボランティアに来た理由を話されました。
・阪神大震災でボランティアに助けられたのて恩返しだと思って来た
・学生時代を過ごした土地だから
・友人、知人が東北地方にいるから
と様々でしたが、皆さん納得の理由でした。
そんな中、一人だけ、変わったことを言う方がいました。
「私は、偽善で来ています。来た理由は自己満足のためです」
と言った人がいました。
知って欲しいたった一つの言葉
面白いことを言うなと耳を傾けました。
偽善じゃないかと悩んでいた私には、ある意味本質的な言葉だと思いました。
「しかし、」
とその人の言葉が続きます。
「誰かの役に立つのなら、それがたとえ偽善であったとしても、やらないよりはるかに良いと思っている。だから私は今ここにいるのです。」
と話されました。
あ~、確かにそうだよなと思いました。
「偽善」とか「好意の押し付け」とかどうでもいい話だなと。
誰かの役に立つ、それだけで良いではないか。
人の役に立ち、満足する。自己満足大いに結構ではないか。
そう思えました。
実際、作業をしていると住民の方々が何人も声をかけてくれて、
「雨が降ると詰まったヘドロのせいで側溝から水があふれていた。わかっていたけど人手も足りず、とてもヘドロの除去に手が回らなかった。本当に助かった。」、「ありがとう」、「よく来てくれたね」
と感謝の言葉をもらいました。
本当に来て良かった。この人たちの役に立てたと感じていた時には、私の悩みはすべて消えていました。
もう一度、記載します。
「誰かの役に立つのなら、それがたとえ偽善であったとしても、やらないよりはるかに良いと思っている。だから私は今ここにいるのです。」
この言葉が、皆さんに知って欲しいたった一つの言葉です。
まとめ
いかがでしょうか。
もう、ボランティアが偽善かどうかなんて考える必要はないのです。
あなたがボランティアに参加することで、誰かの役にたつこと、誰かが救われること、以外に価値の基準を置く必要はないのです。
偽善でも、自己満足でも構いません。やらないよりはるかに良いのですから。
最後に、震災後数年して宮城県のとある場所で民泊をさせていただいたことがありました。
あるイベントのために提供してくれていたのですが、その家の方いわく
「震災のときは本当に沢山の人が助けに来てくれた。民泊としてこの場所を提供するのも恩返しのつもり。感謝の気持ちは今でも忘れていない。」と。
最後までお読みいただきありがとうございます。この記事が皆様のお役に立てば幸いです。
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